遅めの報告
5/6-7にかけて鹿児島ユナイテッド戦のために鹿児島を訪れていました。
乗り場からは地上を歩き、タラップで搭乗。
一時間半で鹿児島空港に到着。
バスは事前に2chの鹿児島スレで調べた通り、鹿児島中央から市内を巡行する便に乗車。
この便に乗るため飛行機を降りて5分で乗り換え、世話しない。
一時間ほどかけてバスはスタジアム付近バス停へ。10分ぐらいは歩いて鴨池陸上競技場に到着。
鴨池陸上競技場に到着すると、ピンクのシャツがちらほら。
期待をしている矢先、まじまじと確認すると鹿児島サイドのスタッフTシャツだった。紛らわしい。
アウェイ側の待ち列は、誰も居らず。
待ち列の真ん前はボルダリング用のウォールがでっかくそびえる。壮観。
ホームページに記載されていたタイムスケジュールだと事前搬入はとっくに始まってる時刻。
担当のスタッフ(ジュニアユースのスクール生)に頼み、アウェイゴール裏へ幕張り作業。
前日に作った「結果=成長」の横断幕、START FROM HEREを固定する。
こどもの日が近いこともあり有線のアニソンチャンネルが垂れ流しにされていた。我々は『燃えてヒーロー』『鳥の詩』等年代がバラバラなアニソンをBGMに作業を遂行する。
作業が終わるとスタジアムまわりのフードパークへ。
鹿児島というだけあり肉を主体とした食べ応え充分なメニューが豊富。
なおかつ待ち列待機中にあちらのスポンサー製品の芋焼酎「さつま島美人」が振る舞われる。
マスコットのゆないくーグッズもゲット、もっと買えばよかった。
マッチデープログラムは紙でコンパクトなサイズながらもセレッソにちなんだ興味深いコラムもあり、なかなかの出来。
試合は1-0でこちらの勝利。
バス待ちで選手を労うついでに、大海を確認。
出てきていきなりバスにいるシャケと会話するフランクさ(上の二枚目の写真、ボケてるけど)。
試合内容の割りにあっけらかんとしていてびっくり。
市内のホテルに戻り天文館通りで祝勝会。
驚いたのは深夜2時からローカル局でこの日の試合を録画放送していた。
武流のゴールを確認して就寝、長い一日だった。
<メモ>
鹿児島空港から空港バス[吉野経由鹿児島市内行]に乗車、大人片道1250円。
[与次郎一丁目]で降車、南西方向へ徒歩約10分ほどで鴨池陸上競技場に到着。
ご報告です
ご報告です
なんと
ついにまくり券が22枚(+3枚)集まりました!!!!!!
どんぶりに換えよっかなあ。
11/13 近況報告
遅くなりましたが先週 J3 vsYSCC横浜@ニッパツ→J2 vs愛媛@キンチョウ二戦ハシゴやってのけました。
前日に東京インして高校の同級生とアキバで漫画買って、油そばとケバブ食いました。
大阪は油そば細麺?中太麺が多い気がするから太麺はなんか新鮮
東京のケバブはゴツくてうまい、トッピングも豊富で食べ応え充分。
その後田端の友人宅へ。地元の銭湯に行き男気じゃんけんでシャンプーとボディーソープを購入、勝負運なし。
翌日十時に横浜駅へ
ある程度予想してたけどパーカーが被る。
ニッパツに着後馬鹿話しながら入場、スカルプシャンプーを記念品にいただく。
スタジアムグルメ結構展開しており油そばを食べました。具もしっかり乗っててラー油と酢はお好みで。
試合が終わり一路大阪へ
新幹線でスジャータのアイス食べるってなんとなく大人の体験っぽくて浮かれる。
試合はよく覚えてない
10/28 近況
私が勤めている会社(以下弊社)ではレストランを運営しているのですが、余りにも人手が足りないため世間の潮流に沿ってとうとう中国人の研修生を放り込む事態に陥りました。
やって来た中国人は三名(全員女)、全員めちゃくちゃ勤務態度が悪く社員食堂代わりにレストランを利用する我々の間でもすこぶる評判が良くありませんでした。
ただ私の場合は持ち前のキャラクター、モンゴル人に間違えられる大陸顔と大学で学んだ中国語(一回落とした)を駆使することでめちゃくちゃフレンドリーに接してもらうことに成功しました。(「対不起」「辛苦了」「謝謝」の三つしか基本的に使ってなかった。)
特に仲良くなったのは黄さん(仮名)、彼女は弊社のボスだろうが役職者だろうがお構い無く悪態をつきまくり、男性社員全員に求婚する(日本の永住権がほしいから)などかなり三人の中でも素行に問題がある人物でした。私ももちろん求婚されましたし、年末の忘年会でメイド服着させられたときはめちゃくちゃ笑われました。
ただやはり素行に問題あるとのことなので三人まとめて雇用期間終了とともに母国に三ヶ月前強制送還されました。
そしてつい一週間前、総務の主任(ゲロほど性格が悪い)から黄さんの訃報を聞きました。中国に帰ったあと交通事故にあったとのことでした。
私は本当にちょっと軽口ただけだったのですが 彼女たちがもう少し日本に適合することができれば、もう少し人当たりがよければとどうしようもない仮定が浮かびましたが無力感に苛まれるだけでかえって悲しくなりました。
袖摺り合うのも多生の縁といいますがまたどこか違う形で黄さん(仮名)と巡り合うことができればと思い、毎日生きていこうと思いました。